1992年9月から、約1年間、

英国へ語学留学というものをしていた時の

お話しを、今の私が振り返りつつ、

書かせていただいています「放浪記」。


これまでに書いたものは、こちらです。


放浪記<ロンドンホスピタリティ編> → 

放浪記<日本で心が放浪編> → 


今日は、英国へ到着する辺りのエピソードを

書いてみたいと思っています。
なかなか面白エピソードにたどり着けません(汗) 


バブル時代、日本の古風な企業で、

悶絶していた私が、英国への語学留学を決め、

そのための準備を始めました。


留学のための雑誌を読みあさり、

地球の歩き方を買い、

留学斡旋の会社へ行って、話を聞いたりしました。


とにかく、手間と時間を惜しまなければ、

なんとか自分一人で、準備できそうでした。


この「自分一人で」というのは、何故かと言えば、

両親には、内緒で準備してしまいたかったからです。

黙って、家出留学するつもりはありませんでしたが、

「絶対に反対される」と思っていたのです。


うちの両親は、二人とも、田舎の出身で、

就職するのに、わざわざ親元を離れて、

集団就職したほどで、何をするにも、

二人はとても「ふつう」でした。

(いえ、厳密に言うと、その頃の私がそう感じていて)

「ふつう」の路線の両親の元で育った私は、

23歳で結婚しないといけないという、

社会や、親の呪縛の中で生きていました。

(そういう時代だったのですけど)


そんなOLさんだった私が、

24歳にもなって、海外で学生している場合か?!

と、突っ込まれるのは、簡単に予想できました。

というか、私自身もどこかで、そう感じていたのでしょう。


でも、「ふつう」には、もう飽き飽きしていたのです。

会社のトイレの窓から、格子越しの空を見上げるのは、

もう終わりにしたかったのです。


ですから、両親にどこを突っ込まれても、

どう心配されても、いくら反対されても、

揺るがない準備が大切だと、

私は、心に堅く決心したわけです。

そうすることで、私の自信にもなると思いました。


留学する国、学校、ホームステイ先、

費用、渡航手続き、海外での生活に必要なものの準備、

そして、退職の準備。


やることは、山ほどあったはずですが、

わくわくして楽しくて、それが億劫だった記憶は皆無です。


とにかく全部決めて、準備完了。

あとは、両親に言うだけです。


「ダメって言っても、行っちゃうもんね~」

くらいの勢いではありましたが、

母親に、話をすると、予想通り、

母の想定外の話なんだなと、手に取るようにわかる反応。

何か言いたそうだったので、

すかさずその場から、退散。


すると、翌日、父から、呼び出しが掛かりました。

父の行きつけの居酒屋さんのカウンターで、

普段、あまり私には直接、ものを言わない父でしたが、

母から、頼まれたに違いありません。


叱られて、止めろと言われるのかなとも思いました。

身構える私に、父が、口を開きました。


「おまえな、そういうことは、前もって話をしなさい。

 おかあさん、心配してたぞ。」


前もって話して、準備もなく反対されたら、

たぶん、私は挫けていたことでしょう。

でも、心配していたのは、父も同じだったでしょうから、

二人には、悪いことをしたなと思いました。


このお店で、一番美味いというポテトサラダを

二人でつまみながら、(やけに覚えています)


「危なくないのか?」

「うん、大丈夫。」

「行くのか?」

「うん」


というような、簡単な会話をした気がします。


その後は、父も、私も、

留学の話はしませんでした。

初めて、親子で呑むという出来事を

しみじみと楽しんだという感じでした。


この頃、バルセロナオリンピックが開催されており、

柔道の吉田選手、古賀選手で、日本が熱くなっていた夏でした。


スペインのバルセロナ、行きたいな~

と思いましたが、まさか、

翌夏、オリンピックが開催されたスタジアムを

「暑い暑い」と見学するとは夢にも思いませんでした。


そして、それから、数週間後、

私は、会社を辞め、

大きなスーツケースと共に

英国へ向かう(ソウルで乗り換えでしたけど)

飛行機に乗り込んだのでした。


まさに、

「イヤッホーイ!!日本脱出ーっっ!!」

初めてのフライトで不安もありましたし、

見送る母の心配そうな顔も胸が痛みましたが、

窮屈だったいろんなものから、

解放されたような気分でした。


3人掛けの座席には、

同じく英国へ留学するという同世代の女性、

同じく英国へ一人旅に出かける同世代の男性が

座っていました。お互い自己紹介して、すぐ意気投合。

13時間かかるフライトも、楽しくてあっという間でした。


そして、夜のヒースロー空港に到着。

チューブと呼ばれる地下鉄に乗って、

ロンドンまで移動しました。


飛行機で一緒だった彼女と夕食を食べました。

そして、英国での連絡先を交換して別れました。


日本で予約しておいたホテルへチェックインしました。

たどたどしい英語ではありましたが、

なんとかなりました。


部屋に入って、重いスーツケースを置き、

ショルダーバックも肩から外しました。

すごく高かった割に、部屋が小さくて、

ちょっとがっかりしました。

部屋の照明も暗めで、

古くさい雰囲気も、陰気くさくて嫌でした。


鏡がありました。

覗くと、私が映っていました。

長旅の後で、疲れた顔をしていました。


そして、なんとこう思いました。

「なんで、こんな遠いところに来ちゃったんだろう」


そして、寂しくて、哀しくて、

涙がどんどん出てきて、止まらないのでした。

あんなに心配してくれていた両親を

振り切って来たことを、激しく後悔している私がいました。


そうです。

今ならわかります。


私は、別れを惜しむということを

まったくやらずに日本を出てしまったのです。


ロンドンは古い街です。

古いものが、クラシカルなんて言われて、

重宝がられる場所なのです。

ホテルの部屋も、古くさいんじゃなくて、

クラシカルだったのです。

ロンドンのクラシカルなホテルなら、

高いに決まってるのです。

(B&Bと呼ばれるところは、安いんですけど)

照明も、どこ行ったって、こんな感じの暗さでした。


でも、家族や友人、日本という場所から離れると

寂しくなって、哀しいということを

全然感じないで、いえ、感じていては、

この留学を決行できなかったでしょうから、

隠しに隠して、ここまで来たわけです。


それが、とうとう一人ぼっちになって、

いきなり吹き出したのですね。

陰気くさかったのは、ホテルではなく、

私の心の状態だったのです。


私の英国留学の幕開けは、

「まさかのホームシック」だったのでした。


また、次回の「放浪記」お楽しみに。



池尾千里



バブル期でなくても、

留学して、海外で学びたいと考えている方は、

今でもたくさんいらっしゃるようですね。

そんな方の目にも止まるとうれしいです。

とっても冒険ではありますが、

人生の大きな節目になっています。

いいタイミングだったなと思います。

皆さんのグッドタイミングを応援させてください。


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